【コラム】「指示」から「対話」へ
――精神科訪問看護の現場で見えた、オープンダイアローグの本質的な価値
精神科訪問看護に長く携わっていると、時に無力感に苛まれることがあります。認知行動療法(CBT)などのエビデンスに基づいた技法は、症状のコントロールや再発予防において極めて強力な武器になります。しかし、それだけではどうしても届かない「孤立」や「閉塞感」があるのも事実です。
そんな私が「これは!」と感じトレーニングコースを修了し実践しているオープンダイアローグ(開かれた対話)の可能性について考察してみました。
1. 「正論」が人を追い詰めることもある
訪問看護の現場では、私たちはつい「良くなってほしい」という願いから、アドバイスや評価を急いでしまいがちです、これは身体科においても同じことが言えるかもしれませんが「もっと外に出ましょう」「薬は規則正しく」。これらは正しいのですが、苦しみの渦中にいる本人にとっては、時に「評価される側」と「評価する側」という埋めがたい溝を作ってしまいます。
オープンダイアローグの核心は、「結論を急がない(不確実性に耐える)」ことにあります。支援者が解決策を提示するのではなく、その場で起きている対話そのものを治療的プロセスとして捉える。この姿勢が、硬直した家族関係や本人の頑なな心を、驚くほど柔らかく解きほぐしていくのです。
2. 「対等な多声性」がもたらす安心感
オープンダイアローグを実践する中で、利用者さまから「初めて自分を大切にしてくれた感じがあるかも」という言葉をいただいたことがあります。- 対等で安全な関係性:疾患を抱えた人からすると医療者はどうしても自分よりもヒエラルキーが上を感じやすい、ヒエラルキーが上の人との対話は対話にはなりにくい。
- 独白から対話へ: 妄想や幻聴さえも「否定すべき異常」ではなく、その人の切実な言葉として耳を傾ける。内的体験を聞きすぎると良くないという精神医療神話があるが関心を持って聞き切ることとそれにしっかりと応答するという聞く姿勢が大切である。
- 透明性の確保: 看護師同士の相談(リフレクティング)を本人の前で包み隠さず行う、そのことで利用者は意見を押し付けられる感覚から離れる事ができ結果的に対話の促進が起こったり自己選択ができる。
この「隠し事のない、開かれた場」が、精神疾患を抱える方々の根底にある「他者への不信感」を少しずつ溶かしていきます。専門家が「治す人」ではなく、共に悩む「同行者」になったとき、本人の中に眠っていた自己治癒力が動き出すのを、私は何度も目の当たりにしてきました、しかもそれは私たちがそうなることを目指した訳でもなく化学反応的に能動態でも受動態でもなく中動態的に起こるのです。
3. 精神科看護師だからこそ感じる「言葉の力」
長年私は精神科看護師として看護師だからこそ持てる武器として扱ってきた認知行動療法で思考のクセを整理する手助けをしてきたからこそ、オープンダイアローグとの相乗効果も実感しています。CBTで「個人のスキル」を磨き、オープンダイアローグで本人を取り巻く家族や周囲の人々との「人と人とのつながりの質」を変える。この両輪が揃ったとき、訪問看護は単なる生存確認の場ではなく、「人生を再構築する場」へと進化すると私は信じています。